「昭和は遠くなりにけり」2017年12月号

  暮れになると、どこからか大きな鮭が届きました。いただきものだったのかもしれません。普段、台所の立たない父がその鮭を、これまた普段使わない立派な出刃包丁でさばきます。その一つの神事のような光景を今でもはっきり覚えています。小学生の僕は、やれやれ、一つ年を重ねるってのは大変なことなんだな、と少し冷めた目でながめていました。
 母は、おせちを作りながら、大量のもち米を蒸してモチをつきました。ゴムまりのような白い塊が、餅つき機のなかで踊っているのを見るのは好きでした。スイッチを押したり止めたり、遊んだものです。
 かつてはどこにでもあった「家族の風景」の一コマですね。
 両親は数年前に他界したので、その年末恒例の台所行事はもう存在しません。懐かしい思い出です。本来ならば、私たちの世代が親族の伝統を継ぐべきなのかもしれませんが、実現できていません。
 現在、餅つきは、暮れの風物詩でなく職務の一環になってますし、鮭は、切り身を外で買って済まします。子供たちにそういった姿を見せられないのは少し申し訳なく思っています。便利なっていくのは良いことですけれど、どこか味気なく、風情がなくなっていくのは寂しいですね。
 平成も来年は30年。年号もまもなく変わるようですので、昭和はますます遠くなっていく気がします。

 鮭は北海道も有名ですが、軒先にぶらさげられた鮭、その文化と歴史では新潟が日本一でしょうか。特に県北の村上は、鮭の博物館まであります。
 ただ、これも大きな工場ではなく商店街の手仕事のひとつですので、やがては少しずつ影が薄くなっていくのかもしれません。
 平成のこの30年ほどの間に、こういった手仕事が急速に減っていった気がしています。
 私たちのすぐそばでも、造り酒屋が2軒、廃業しました。家族経営の小さな酒蔵ですが、1升1万円にもなる香り高い吟醸酒を醸していたところです。工業製品のビールや大量生産の日本酒工場に負けた格好です。でも果たして失くしてしまって良かったのかどうか・・・?百年単位の麹菌が蔵の中まで住み着いた建物は、もはや再建できません。
 みな大資本にとって代わり、町の○○屋というのが、どんどん姿を消しています。八百屋さん、魚屋さん、果物屋さん、酒屋さん、肉屋さん、まめ屋さん、豆腐屋さん、漬け物屋さん・・・・。がんばっている人たちも高齢になり「まあ、オレの代で店じまいだね」と寂しい声ばかりが聞こえてきます。「ファーストフード」から「スローフード」の時代へ、といった格好のいいスローガンはあっても、結局はコンビニ弁当やスーパーのお惣菜コーナー全盛で、職人の手仕事は細くなっていくばかりです。
 私たちの世代、もしくはもっと若い世代は、味覚がわからなくなってしまっているのでしょうか? 経済優先、利便優先になりすぎて、自分たちのアイデンティティをどこかへ忘れてきたのでしょうか? 理由はよくわかりません。ただグローバル化の波に乗って、大切な何かを流してしまったのかもしれません。
 大量生産・大量消費でないものを食べよう、地元の新鮮なものを食べよう、職人の手仕事を食べよう、そういう気質は経済大国の日本人に通じるように思います。
 「スローフード」も「キロメートル・ゼロ」もイタリアやスペインといった南ヨーロッパのやや経済の弱い国の運動です。「エスプレッソもピザも近所のワイナリーも、オレたちの文化だ、どこの誰が作ったかわからない大資本の工場でつくった食品は受け付けないぞ」そんな気概がちょっぴりうらやましいです。

 料理本の隙間から母のレシピのメモが出てきました。僕の好物の「松前漬け」の配合が書いてあります。正月料理ですね。「ママのパスタは最高だ!」と思い出したようにイタリア男を演じてみても、もう親孝行はできません。
 今となってはずいぶん遠くまで来て、後ろを振り返っているような気がします。


威勢の良い雲と、雪化粧した妙高山

華やかな、蔓系の雑草

松葉と12月の曇り空



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