「肥料は目に見えない」

  札幌、仙台、新潟、東京、名古屋、大阪、福岡、那覇、の文字がテレビの画面に出ると天気予報の時間です。おかしな天候がこのところ多く、社会全体に与える影響が大きいためか、ニュース番組の中で天気予報がトップニュースを飾ることが増えたような気がします。交通、経済、景気は天気に左右されますし、気圧や気温が乱高下するので体調を崩してしまう人も多いのではないでしょうか。

 ただ今年、天気が荒れているわりには稲の生育はおおむね平年並みでしたし、そのほかの農産物もそれほどひどいことならなかった気がします。野菜や水産物で品薄になったものもなかったわけではありませんが、まあ想定の範囲内に収まったようです。
 自然と共生している農家として、特に天候次第でバタバタしてしまう者として、あらためて感じるのは、植物の強さ、たくましさです。
 人間のはかなさに比べて、植物の強靭さは「あっぱれ」です。森の木は、降っても照っても暑くても寒くてもどんどん大きくなります。新潟から長野にかけての山の中にはブナの原生林があちこちに残っていますが、古くなった木は勝手に倒れ、新しい芽が出てまた大きくなっていきます。大雪のなかで人間の管理の入らないまま、30mもの大木がうっそうと茂っています。根を伸ばして肥料や水をつかみ、風を求めて背丈を伸ばし、光を集めるために葉っぱを増やします。
 森の木はすくすく成長し、勝手に自然界の王者となっています。
 農家は作物を栽培するときに、肥料は足りているか、病原菌は入っていないか、風通しはどうか、光は十分にあるか、水はあるかないか、そんなことを考えていますが、たぶん植物は考えていないでしょう。
 肥料の教科書を広げると「肥料の3要素(チッソ、リン酸、カリ)が植物の生長には必要」と書いてあります。家庭菜園をされている方はご存じのように、お店で買おうと思うと肥料の種類ってたくさんあります。アンモニア主体、硝酸主体の区別から始まって、個体か液体か、3要素の配合やバランス。そのほかの微量要素が加えられているもの・・・。
 そして肥料を実際に与えるときにはその量やタイミングも、気まぐれというわけにはいきません。ちょうど栄養の3要素(炭水化物、脂質、たんぱく質)をベースに給食の献立を考える栄養士さんのつもりで、一応やっているわけです。
 しかし、天候を見ながらあーでもないこーでもないとやっていることが、本当はたいして意味のないことだとしたら?
 森の木に肥料を施している人はいません。山の奥まで行かなくても庭に植わっている木でさえ、施肥をしなくても大きくなっていくことがよくあります。巨漢の相撲取りになるのに、食事をしなくてもOKということでしょうか? 不思議ですよね。ただ植物の世界では現実に起こっていることです。どう考えればいいのでしょう。
 私たちにとってヒントのひとつは「土地は休ませるといい」ということです。
 休むというのは一切の管理をしないで荒らしておくこと。雨に打たれて土が流れても草ボーボーになっても、それでも放置しておく。作付けを休んだ農地ではそのあと作物栽培は容易になります。場合によっては無肥料で育てても頑健に育ちます。これは肥料の教科書では説明がつきません。私たちの休耕田でも起こりますし、ヨーロッパの小麦地帯でも昔から休むことの価値は認められていました。
 それからあともう一つは「落ち葉の効能」でしょうね。大きくなる植物は例外なく、落ち葉に囲まれています。堆肥という肥料は昔からありまして今でも使っていますが、落ち葉の効能を人間は十分に研究しきれてはいないかもしれません。肥料の3要素では計り知れない、まだ科学が追い付いていない何かがあるのだと思います。
 証拠とかデータとか合理性だけでは答えられないですね。農業にはセンスや官能といった感性の領域が必要で、まだまだ奥が深いです。
 植物に限らず人間だって、ときどき休むほうがいいし、「失敗を糧にする、経験を糧にする」といった哲学はきっと人間を大きくします。どこか似ているように思います。 



 


米が実る頃、ちょうちょが増える

只今、稲刈り中


稲刈りが終わる頃、ススキの穂がが出てくる



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