「森の木」


「森の木は、誰も世話をしないのに勝手に大きくなる。森の木に肥料をあげる人はいません。森の木に農薬をかける人はいません。それなのに、森の木は、何よりも大きくて、丈夫」
毎日植物を育てている農家にとって、これほど意味の深い言葉はあるでしょうか。これほど重い言葉ってあるでしょうか。

イネは梅雨に入ると、青年期。
あれよあれよという間に、ぐんぐん成長していきます。
この時期、人間に出来ることはあまりなくて、水は足りているか。多すぎはしないか。栄養は足りているか。多すぎやしないか。虫に食われていないか。病気は入っていないか。太陽の光はちゃんと当たっているか。風は抜けているか。そういったことを見て歩きます。管理作業といいます。ひとことで言えば、気持ちよく揺れているか、を見て聞いているわけです。ですから管理というより、むしろ対話といったほうがいいかもしれません。声にならない声で、イネと対話をするのです。
ほんの少しだけストレスをあたえながら育てていくと、イネは健康に育ち、殺菌剤も殺虫剤もいらない丈夫な体になります。ですから、もちろんそういった農薬は使わないのですが、それには毎日の丁寧な観察と、細やかなイネとの対話が必要です。そして「森の木」の話を、いつも考えています。
 森の木は、肥料も水も人間から世話をしてもらわずに、大きくなります。森の木が頑丈で巨大になるのは、なぜなのでしょうか。人間がそばにいなくても、いやむしろいないときのほうが、うっそうとした森に育ってゆくのは、なぜなのでしょうか。うちのイネがひ弱だとは決して思いませんが、理想は「森の木」のように育つことです。
圧倒的な力強さで、野生的に生きていけることです。
 イネも青年期に入れば、自分自身の光合成ですくすく育ちます。しかし、森の木のようにほったらかしにしておくことは出来ません。水を掛けたり、落としたり、がどうしても必要です。理想は追いながらも、現実にはある程度の人間の手がかかり、手間を省けません。手間を省きたいわけではなく、水遣りがなくても生きていけるイネを育てたいのです。
 たまに田んぼに「森の木」を見つけることがあります。
 何かの拍子に落ちた種もみが、田んぼの隅っこで「巨大な穂」をつけたイネになることがあります。植えたわけでもなく、たぶん流れついただけの種。肥料もやらず、水だってかかっているのかどうだかよくわからない。けれども、秋には突然変異かと思えるような頑丈さで、大きな穂を実らせるのです。
 単独で力強いさまから、私は「孤高の穂」と呼んでいます。これがまさに自分の力だけで大きくなったイネ。管理・栽培したのではなく勝手に育ったのです。
 たぶん命の危険にされされる中で、何らかの成長ホルモンが大量に分泌されて、野生化していくのだろうと考えています。自立している姿はまるで「森の木」のようです。
 すべてのイネをそんなふうに「自立した木」のように育てられたら、どんなにすばらしいでしょう!

 「森の木」の強さが、自分自身の本来の力で成長することならば、イネなどの植物に限らず、動物でも、そして人間にも、共通のことがあるのではないでしょうか。ストレスをばねに自分の足で立ち、伸ばした指先で栄養分をがっちりつかんで吸収する、それは生物として本来の姿です。
 力強く生きる人間を「根性がある」などといいますが、根性って、根っこのこと。人間にも根っこがあるんですね。



ヤゴからトンボに羽化します

イネが、株を増やしています。

株数がそろったら一旦水を抜き、根を育てます。



暑くなりました。



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