「私のご飯、あなたのライス」

 私たちは言葉を使って考えるので、言葉はすごく大事です。
 言葉が、人間を作る。・・・そんな名言もあります。

 ご飯、おにぎり、おむすび、握り飯、銀シャリ、味めし。
 これらは英語に直すと、全部「ライス」ですね。(おにぎりは、ライスボールになるのかもしれません。)
 私はバイリンガルでないので、英語の微妙なニュアンスまでは正確に感知できないのですが、ただ日本語では、おむすびと握り飯とでは、頭に浮かべるイメージに違いがあるように思います。 

1、秋に稲刈りをした稲穂を、千歯こきで脱穀すると、わらとモミに分かれます。
2、モミは生きているので、翌年にタネとして土にまけば、芽が出て稲となって育って  いきます。
3、また、モミをゴムのロールでやさしくこすると、モミ殻が外れ、中から玄米が出てき  ます。
4、その玄米に少し力を加えて磨いていくと、米ぬかと白米に分かれます。
 この1〜4のすべての農作業にでてくるのも、英語ではただ「ライス」です。黄金色の稲穂も、固いモミも、真っ白い芽が出ているタネモミも、田んぼに植わっている青々とした稲も、収穫物である玄米や白米も、すべて「ライス」。なんか、違和感がありませんか。厳密には、玄米はブラウン・ライス、白米はホワイト・ライス(またはポリッシュド・ライス)などとも言うようですが、しかし生活感がなく、精米工場で進行状況を示す工程表のような響きがあります。
 私の(私たちの?)感性では、稲とコメは、別の物です。
 水田に生えていて、茎があり葉っぱのあるものはイネといい、あまりおコメとは言いませんし、キッチンで1合2合と量る穀物は、おコメと呼んで、決してイネとは呼びません。「コメを買いに行く」とは言っても「イネを買いに行く」とは、普通言いません。ですから、英語の「ライス」は、植物としてのイネと、穀物としてのコメ、そして調理のされたご飯、のすべてを含めている、ということになると、なんか納得が出来ないのですね。もっと正確にしようよ、横着しないでさ、となぜだかお願いしたい気分です。
 日本語でいろいろと細かく言い分けたくなるのは、それだけ特別なものということなのでしょうか。逆に、英語圏の人にとって「ライス」は、単なる食材の1つに過ぎないのでしょう。ナスは、畑に植わっていてもナスだし、ダンボール詰めで流通しているときもナスだし、調理されて口の中でモグモグしても、やっぱりナスはナスです。
 そう考えると、イネ→コメ→ご飯、のように時間や場所で呼び名が変わっていくもののほうが、日本語でも少ないかもしれない。ダイコンだって、トマトだって、カボチャだって、インゲン豆だって、いつでもどこでも名前は変わりません。それは、コメとともに生きてきたということ。アメリカやイギリスとは違う歴史や文化を感じます。コメ作りの伝統のようなものも感じます。
 イネを育ておコメを食べて生活しているので、日頃から正確に使い分け、農家に恥じない言葉遣いを心がけたいものです。

 「言葉が人間を作る」じゃないですが、「日本人がコメを作る」よりも「コメが日本人を作る」と考えるほうが、収まりがいいように思います。「農家がコメを作る」のではなく「コメが農家を作る」のですね。
 いやあ、できそこないで、ゴメンナサイ。・・・などとコメにちょっと謝ってみる。(って、太宰治か!)
 春はタネをまき、農家作りを始める季節です。




どこにでも咲いている。オオイヌノフグリ。

2015年3月31日の桜の蕾


溝を掘って、田んぼを乾かします。
 



春がやってきました



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