「スズメの鉄砲」

 「それはスズメの鉄砲だろ? ずいぶん丁寧だね」
 「え、これが? スズメの鉄砲?」 
 夕刻7時、私は会社での仕事を終えたあと、自分の田んぼに入って草を1条ごとに手で抜いていました。何をしてるんだろうと、水回りに来た隣の田んぼのおじさんが近寄ってきました。代かきが雑だったから、ヒエがいっぱい生えてきちゃって、と言い訳する私に、おじさんは静かに「スズメの鉄砲だろ?」そう言ったのです。スズメの鉄砲とは、鳥のスズメとも武器の鉄砲とも関係がなくて、草の正式な名前です。
 思いもしない草の名前を指摘されて、私はびっくりし、おじさんと手元の草とを交互に眺めました。これヒエじゃないのか・・・?
 翌朝、さっそく草を会社に持って行き、始業前に先輩に確認したところ、「秋山君、それはね、ヒエじゃない、よく似てるけど。ははは、知らなかったか、スズメの鉄砲。取らなくていいよ。大丈夫、イネより大きくはならないから」
 「そうなんですか。うわぁ、こんなに生えちゃった、って真っ青になって、3日も会社のあとで田んぼに入ってたんです」
 「ははは、そりゃ、ごくろーさんだね」
 「でもスズメの鉄砲って、雑草じゃないんですか??」
 先輩は、まあガッツだけは認めてやるよと励ましてくれました。知らないまま田んぼを何時間もはいつくばった後輩は、スズメの鉄砲という、なんともおかしな草の名前を深く胸に刻んだのでした。その取っても取らなくてもどっちでもいいという曖昧な性質とともに。

 私は大学を卒業すると同時に長野の農業会社に入社し、田んぼの勉強を始めたばかりでした。新入りですが、コメ作りでやってみたいことがたくさんありました。そこで、私は会社のOBの方から個人的に田んぼを一枚借り、会社での勤務時間が終わると、真っ暗になるまで実験用の田んぼに行って、自分だけのコメづくりをしていたのです。
 勤務時間中の農作業は、先輩方が詳しく教えてくださいます。懇切丁寧、手とり足とり、温かい指導で、何もかもがすべるように進みます。しかし、自分の実験水田は、そうはいきません。こういうときはどうするんだという小さな疑問は次から次へと出てきますし、無理にお願いして始めた最初の田んぼだ、何としても成功しなきゃ、という妙な気負いもありました。
 田植えしておよそ1週間、そこに草がワッと生えてきたのです。
 田植えしたばかりの苗はヒョロヒョロで、大きさも数センチ、実に頼りない。それに比べ条の合間に顔を出した雑草は、数も多くてすごく力強く見えました。
 その時、経験の浅い私がその草を、真っ先にヒエだ、悪名高き害草だ、と思い込んだのも無理はありません。イネも、ヒエも、スズメの鉄砲もみな同じイネ科の植物。そして、小さいときはそっくりの色と形の葉っぱをしています。
 ヒエがこんなに生えちゃったら田んぼはモノにならん、と私は大変な形相を浮かべて草をむしっていたに違いありません。おじさんが「スズメの鉄砲だよ」と教えてくれた声のトーンはあまりに静かでした。もうずいぶん昔のことですが、その日の夕暮れの感じを今でもはっきり覚えています。
 確か分厚い農業の教科書には、スズメの鉄砲は害草と書いてありました。(おそらくインターネットで簡単に検索できる今でも、変わらずそうなっているはずです。)
 でも、そのとき私は周囲の助言のとおり、スズメの鉄砲をそれ以上むしるのを止めました。田んぼ半分はイネだけ、残り半分はイネとスズメの鉄砲の混植、という田んぼの状況で、さて、比較して結果がどうなるか、また実験です。
 結果は、案の定、スズメの鉄砲は30センチくらいまではイネと競争するものの、イネが急成長するころにはイネの根元で枯れていき、やがて養分になっていったのでした。その年の秋は大豊作。なんて理想的な展開でしょう!! 教科書とは違う田んぼの現実に私は嬉しくなりました。
 元来ひねくれ者なので、教科書とは違う現実があると何かを発見したようで得した気分になるのです。実験水田をはじめたことで思わぬ新事実にぶつかりました。
 むしろ初期成育の時にはスズメの鉄砲があったほうが他の雑草を抑制できるのではないか、イネにとっては共生植物ではないか、農薬も減らせるんじゃないかとまで考えるようになりました。
 それ以来10数年これまで、私の田んぼでは、スズメの鉄砲で困ったことは一度もありません。逆に、毎年スズメの鉄砲が田んぼで生育できるように試行錯誤を繰り返してしています。

 今年も新潟・秋山農場の田んぼには、田植えしたイネのあいだにスズメの鉄砲が顔を出してきました。へんちくりんな名前は今ではかえって愛らしい存在ですね。
 あの時の、夕暮れのおじさんと先輩方には、今でも本当に感謝しています。農業駆け出しのころのほろ苦いエピソードです。この季節にスズメの鉄砲の姿を見かけるたび、なつかしく思い出します。




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