「ふるさとの味」

 秋は美味しいものがたくさん出回ります。新米はもちろん、梨、栗、リンゴ、柿にみかん、さんまに戻りがつお、小松菜、大根、サツマイモにキノコ類・・・。食欲が止まりません。まさに「天高く馬肥ゆる秋」を地でいく感じです。
 天高く馬肥ゆる秋。
 「肥ゆる」なんて言い方は、直接「脂肪」を連想させて、自分の身を考えるとあまり好ましいものではありませんが、なかなかユーモラスな文学的な表現ですよね。他にも日本語には、豊穣の秋、実りの秋、食欲の秋など、秋と美食をつなげたような言葉がたくさんあります。
 「天高く馬肥ゆる秋」はもとは中国から伝わった言葉だそうで、実は、中国では日本とはまったく違う意味なのだそうです。
 夏のあいだ、馬を放牧させていた北方の騎馬民族が、秋になると収穫された穀物をめがけて攻めてくる。だから、気をつけろ。つまり「警告の秋」を意味するそうです。豊かな秋とか止まらない食欲とか太って困るとかとは、まるで関係ないそうです。
 例えば騎馬民族が、今のモンゴルの人たち、故事を伝える中国人が今の漢民族だと考えると、モンゴルの馬は夏に、どこまでも続く草原で草を食べて太るのでしょう。でも秋になるともう草原には食べ物がなくなる・・・。いっぽう、中国平原では秋に農作物がとれて倉庫に積まれる、さあ太った馬に乗った騎馬民族がやってくるぞ、襲撃されないように気をつけよう、そんな光景でしょうか?
 そういえば、寒さの厳しいモンゴル人は、冬のあいだ何を食べるのでしょうか。ちょっと思いつきません。野菜はなさそうだし、コメを炊いて食べるイメージもありません。羊をバラしてくまなく食べることと、あとは乳製品くらいでしょうか。冬のモンゴルに出かけたことがないので、想像するしかないのですが、あまりバリエーションのある食事とは思えません。
 モンゴル人といえば最近は相撲・・・。以前にテレビで、モンゴル人力士が塩でゆでただけの羊肉の塊にむしゃぶりついている様子を見たことがありました。来日する両親がお土産に持ってきたそうで、「僕にはこれがふるさとの味なんだ。すごくなつかしい。日本では食べる機会があまりないんだ」と、普段は豪快な関取が子供のような顔で笑ったのがとても印象的でした。
 塩でゆでただけの羊肉は、私にはけっして「ごちそう」には見えませんでしたが、モンゴル人にとってのふるさとの味に違いありません。きっと千年も前から受け継がれてきた「おふくろの味」なのでしょう。
 雪に埋もれてしまう新潟・上越地方のお雑煮は、乾物のゼンマイだとかズイキだとかが必ず入ります。お正月に食べるお雑煮は、全国津々浦々、地方によってまったく違う汁物です。特色のある「ふるさとの味」です。雪深いこの地域では、きっと青い野菜は冬に手に入らなかったのでしょう。冬でも暖かい関東地方の雑煮に、青々としたほうれん草が入るのとは対照的です。
 ふるさとの味は、モンゴル人にとっての塩ゆでの羊肉であり、新潟の人にとってのゼンマイ入りのお雑煮のことです。よその人から見たらどうということのないものでも、ふるさとの味を忘れることは出来ません。いくつになっても、どこに住んでいても、ふるさとの味は、記憶から消えません。
 新米とさんまを食べると美味しいなって思います。日本人でよかったって思います。私たちにとっては秋の醍醐味。でも外国人の目にはコメと焼き魚の組み合わせは、大したごちそうにはきっと映らないでしょうね。
 日本人が「太っちゃうかな〜、うーんでも、やっぱりもう一杯、おかわりしよっかな〜」と、秋の夜長に悩む姿こそ、(世界遺産には登録されないとしても)ずっと続いていく文化の真髄だろうと思います。




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