「おとなの肖像」

 40歳を過ぎました。
 孔子の言葉で「40にして惑わず、50にして天命を知る」とあります。孔子にけちをつける気はありませんが、迷いのない、惑わないおとなとは、どういうものなのかなあと最近考えるようになりました。
 成人式を迎えれば、法律的には大人ですし、それよりももっと早く、乗り物などでは中学生になると大人扱いです。ただ、年齢とか体格とかそういうレベルでの大人ではなくて、今見つめたいなと思うのは、人格とか、円熟味とか、刻まれた時間とか、刻まれたシワとか、もう少し深い意味での大人、についてです。
 40にもなればもう完全にどこから見ても「おとな」なんですが、それでも私自身と私の考える「おとな像」にはまだ少し差があるように思えるときがあります。こういう大人になりたいというのがいまだにあるんです。理想が高いのか、おとなになるのは簡単なことではありません。
 おとなというのは趣味があるもんです。
 余った時間の使い方ではありません。趣味っていうのは、スタイルというか、嗜好というか、趣味にうるさいというほうの趣味のことです。ファッションでいえばGジャンが似合うとか、お気に入りのセーターを持っているとか、そういうことです。いろんな趣味がありますね。食べ物なら、ソバ通だとか、プランターで野菜でも何でも育てちゃうとか、ギョウザのおいしい店を知っているとか、他愛のないことでもいいので、その人独自の個性がにじみでてくる来ると「趣味のいいおとな」ですね。
 あとは、おとなは苦しいときにも笑える、とか。
 おとなはお金のことで感情的にならない、とか。
 不況だとか、世の中景気が悪いなんてときに、本当におとなかどうかわかる気がします。
 一方で、おとなは、社会の大黒柱としての自覚を持って、一生懸命、たんたんと仕事をするとか。
 おとなは、静かでどっしりとした存在感があるとか。古臭いようでも、そういう部分もけっこう大切なように思います。
 法律や資産運用などに詳しいのも、おとなとしての魅力です。
 それから、おとなは旅がうまい、なんてもの加えたいですね。
 まあ言い出したらきりがありません。
 40になるのは簡単ですが、おとなになるのは大変です。不況だとか世の中景気が悪いなんてときに本当に大人かどうかわかる気がします。
 
 東京では渋谷は若者の街で、銀座はおとなの街なんていう比較もあるようです。農村では、田んぼで会うのは年寄りばかり、ですね。私は田舎者なので銀座の似合う大人になるのはムリですけれど、品のいいおとなにはなりたいと切に願っています。 




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