「人返しの法」

 1843年、というから今から160年ほど前のことになります。
 時代は江戸末期、老中・水野忠邦がおこなった政治改革・天保の改革の中のひとつ。大都市に集中した人々を農村へ帰郷させたので、まさに「人返し」。
 ただその目的は、ききんによって流出した農村の人口確保や荒廃していた農村の復興というよりはむしろ、都市の人口を増やさないことにあったそうです。当時、江戸や大阪など大都市では、打ちこわしや百姓一揆がつぎつぎおこり社会不安が高まってきたため、奉公に出てきたものの故郷に帰らない下層町人を幕府が強制的に帰農させたようです。
 振り返って、現代。
 年末にかけて急速に冷え込んだ景気。雇用不安とホームレスの増加。日本を代表するメーカーが大量解雇を余儀なくされています。マスコミはしきりに格差の拡大を報じています。こういうときは江戸時代の例を引くまでもなく、普段は忘れられていた農業に目が向けられます。中国の古文書にも同様の例が出てくるそうですから、農村と都市の人の行き来の歴史は千年もの昔までさかのぼれる伝統的な社会政策なのかもしれません。まだ日本政府は、高まる失業率に対して効果的な雇用対策を打ち出せていませんが、不況が長引けば必ず、農業振興という名目で現代の人返し令がおこるはずです。
 おりしも、輸入農産物への不安や相次ぐ食品偽装により、国内での食糧生産への期待はふくらむばかり。景気が悪くなると、農業が人の受け皿になるのは、農業関係者のなかではよく知られた事実です。都市住民、現代でいえば、製造業の関係者にとっては、農村というのは雇用の調整弁、安全弁なのでしょう。
 私はといえば、ちょいとむずかしいだろうなと見ています。そもそも安心して働けるってこと自体、それがどこであれとてもむずかしいことです。
 もちろん農村でもいろいろな立場があります。農協などは、製造業とは比べものにならないくらい官僚的ですから、新しい人口政策は歓迎でしょう。硬直的な構造では、全体が大きくなればなるほど、ピラミッドがしっかりとします。しかし、農業経営にたずさわるひとの多くは、食料生産はそんなに単純じゃないし、派遣社員の単純作業のようには行かないことも知っています。都合のいいときだけ利用しやがって・・・と怒りをあわらにする人さえいます。
 日本の農業の強みは、普及品を安く大量に作るというよりも、手間をかけた高品質のものをオーダーメイドのような感じで作るということにあると思いますので、より職人的な感覚が必要だと思います。労働組合とか生産調整とか、大きな大きな工場でおこなわれている手法はそぐわないのではと思っています。
 農村に都会的なセンスをもった人材が増えるのは大歓迎です。これを機にたくさん来てくれるといいと思います。しかし、独特なアイデアや長期間にわたる構想なくして、安易に農村に生活の場を移すだけでは、都会以上に大変かもしれません。厳しい時代に生きるには、都会であれ農村であれ、英知と勇気が必要です。自戒の意味も込めて、痛切にそう思います。
 結局、江戸時代の「人返しの法」は失敗に終わったそうです。平成の「人返し令」は発令されるでしょうか?




HOME

Copyright (C)1997-2008 Akiyama-farm. All rights reserved.

このホームページ上に掲載されているすべての画像・文書などの無断転載を禁じます。