「ふきのとう」

 「結局のところ、一年間に降る雪の量は同じ」と、みんなが言います。他人に言っているようでも、本当は自分に言っているのかもしれません。ドカンといっぺんに雪が降って、気が滅入りそうな時に言います。雪が相手では、まだ人間の科学はかないません。ひとたび、冬将軍が雪オニを連れてくると、雪国の人たちは、朝も早くから、身支度、駐車場の除雪・・・と、普段はしなくても良い仕事が増えます。車の運転には気を使いますし、建物の周りや屋根の雪もどこかにどかさなければなりません。雪オニが一生懸命に雪を降らせると、人間は雪をかまっているだけで、一日が暮れてしまいます。嘆きたくもなるのです。
 「そんでも、どれだけ降ったって、春が来れば雪はとける」。みんな、そんなふうにつぶやいて自分を励ましながら、スコップを使って雪を掘り、スノーダンプを使って、雪をどかします。悪い日もありゃ、いい日もあるさ。結局のところ、一年間に降る雪の量は同じ、そのうちやんで雪も消えるさ。経験則のような、教訓のような、人生哲学ですね。処世術です。雪の消えなかった春はありません。春を心待ちにして、希望を胸に、目の前の雪と格闘するのです。だから雪国の人は、辛抱強いです。
 日本全国では、大雪に関係する死者がこの冬100人以上。当地でも、20年ぶりの大雪でした。正直いって、12月に降り出した時にはどうなることかと思いました。12月、1月と降り続きましたが、2月になって勢いはおさまり、3月の暦は、ほぼ平年並みの積雪量で迎えました。もちろん3月だって、雪は降るでしょうし、まだあたり一面銀世界です。それでも、お日さまを拝める日も増え、日照時間はぐんぐん伸びて、春の気配がもうすぐそこまでやってきました。

 春の音は、屋根をつたう雪どけ水の音で始まります。雨どいを壊すほど雪どけ水は流れて、さながら滝のように豪雨のように、ザーザーと音をたてます。梅の花がほころんで、雪景色のなかにピンクの花を見かけるようになると、もう春の作業も始まりだします。タネボカシの準備をしたり、種もみの選別をしたり、埋もれていたトラックを掘り出して整備をし、試運転をします。雪室の中に保管していた米も、いい具合に越冬して倉庫を移ります。

 僕が楽しみにしているのは、ふきのとう。
 南向きの斜面などは、雪ノ下から少しずつふきのとうが顔を出します。中には白い雪の上に、緑色に大きく花開くものまであります。小さなふきのとうに、自然界の摂理に、神秘的な不思議さを感じるものです。雪の中でじっと春を待っていたふきのとうに、ある種の力強さを教えられている気がします。
 雪の坂路をザクザクと歩きながら、探し集めるのも大好き。もちろん持って帰って、食べるのも大好き。そのままてんぷら、ぶつ切りのイカと炒め物、ストーブの上でホイル焼き。
 口の中に広がるほろ苦さは、きっと何かの象徴なのかもしれません。子供の知らない、奥深い大人の味です。食べるだけではもったいなすぎて、ビール片手に、絵に描いてみたり、俳句を詠んだりしてみたくなります。  




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