「作況指数」

 不作の年となりました。10年ぶりといわれています。
 でも、あまり実感がわきません。うれしいとか悲しいとか、そういう実感があまりありません。なにか、そういう感情をもう通り越してしまったのかもしれません。10年ぶりでも何年ぶりでも、好きにしてくれ、そんな感じです。
 豊作貧乏という言葉があるとおり、おコメがたくさんとれる年には価格が下がりますので、農家はかえって、もうからないこと、損をすること、が多いんです。でもだからといって、不作・凶作のほうがいいかというと決してそんなことはなくて、1年かけて丹精こめてやっていることですから、不作の年には達成感がないんですね。収穫の喜びというか充実感というか、そういう確かなもののないまま、秋になってしまった、そんな感じです。何か満たされない感じの秋なのです。やっぱり豊作の時のほうが、喜びが大きいのは確かです。
 この夏は、天候の不順に加えて、私自身の体調も思わしくなかったものですから、深く考えさせられる日々、厳しい試練の夏でした。
 ただ、長くやっていれば、こういうことは必ずあります。山高ければ、谷また深し。うまくいかないときこそ、いい経験。つらい体験からこそそこから何かを学びたい。将来につながる教訓をえたいと思っています。気持ちの上では、「実り多き秋」にしたいと思います。
 新聞・テレビで作況指数がいくつと、さかんに報道されています。作況指数とは、普通の作柄を100とした場合、110ですと豊作、95ですとやや不良、とおおまかに作柄を判断する指数です。面積あたり何キロとれたかが基準になります。品質とはほとんど関係なく、量の基準です。栽培技術は毎年向上するという考えが前提にあって、厳密にいうと、昨年とまったくおなじ収穫量では、作況指数は100になりません。99かな? ですから収穫量はおんなじ作況指数100でも、現在の100のほうが、20年前の100よりもずっと多くなります。
 ただ、発表される作況指数が実態を表しているかどうかについては、本当のところは疑問に思っています。というのは、発表される数字と私たちが実際に収穫したとれ高に微妙なズレが毎年あるからなんです。ラジオなどから飛び込んでくる数字を聞いて、「えっ、そんなに豊作か?」と耳を疑うこともあれば、逆に、「もっといいだろ?」と感じる時もあります。実感として、数字が一致することよりも首をかしげることのほうが多いんです。
 戦時中の「大本営発表」とまでは言いませんが、政府や農協が持っている古米の在庫量とか、政治的な駆け引きやなんかが複雑に絡み合って、さらには先物の相場とか、ある種の利権が、織り込まれて出てきた数字、という感じがしています。あくまで、一農民の個人的な意見でしかありませんが、「お上の言葉」、もしくは「業界の常識」に聞こえます。
 都会の人たちは、作況指数の報道、どんな目で見ているのでしょうか? 
 ま、いずれにしてもその指数、90を下回ると、農民としてはこれは一大事です。10年前の「平成の大凶作」と呼ばれた年が、確か74だったでしょうか。今年はいったいいくつになるのでしょう。聞きたいような、聞きたくないような、・・・複雑な心境です。 




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