「孤高の穂」
稲刈りをしていると、毎年思うことがあります。
「減反のところのイネってなぜか、強大な穂を着けるんだよね・・・」
減反政策のために、イネを作付けてはいけない場所があります。代かきだけして、田植えはしないのですが、こぼれた種から芽が出るのでしょうか、植えなかったはずのところにも、ポツンポツンと稲が育ちます。
栽培しているイネではありません。忘れられたところにあるので、夏にそのまま草刈り機で、刈り倒されてしまうものもあります。そんな感じですから、秋になって穂を結ぶイネは、運良く生き延びたイネなんです。死にぞこないのイネなのです。おやおや、こんなところに偶然に育ってる! そんなもんです。育てたわけではない、育てたつもりもない。
ところが、これが毎年毎年、すべて強大な穂を着けるんですね。死にぞこないのくせに、力強い立派なイネになります。ほんとうに不思議です。驚きです。
もちろん、草取りもしませんし、肥料もあたえません。生きるのに必要な水でさえ、充分にあったかどうかも怪しいもんです。
全然、目をかけてもらえなかったにもかかわらす、栽培しているところよりも、茎は太く株は大きく、穂は強大です。草刈り鎌で刈ろうにも、サッサッサなんて刈れません。ザクザクザクと、のこぎりでも引くように力を込めて刈らないと刈れないのです。「すごいイネだなあ」
たぶん、説明をつければ、「野生化」なのでしょうね。
生きるのにもむずかしい状況になって、イネは野生にもどり、本来持っている生命力が、引き出されているのだと思います。
田んぼの中で列をなして整然と、丁寧に育てられたイネよりも、群れから離れて、雨にも負けず風にも負けず、一人ぽつねんと育った稲のほうが、力強いというのは皮肉といえば皮肉です。水がなくても、肥料がなくても、雑草に囲まれていても、たくましく育つ、孤高のイネ。おもしろーい現象です。
で、イネの生育と人間社会とをダブらせてしまうのは、僕のいつものたわけた癖なのですが・・・、笑わないで下さい。
僕は・・・、「孤高のイネ」のほうに、たまらない愛着を感じてしまうのです。なんだか落ちこぼれのような、つまはじき者のようなアウトサイダーに、情があるんです、いつもながら。
保守本流を追い求めるよりは、新しい発見や不思議なバイタリティーのほうに、アツイ思いを寄せるひねくれ者の僕なのです。
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